合宿所だよりをご覧の皆様、こんにちは!
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★11/23 早稲田大学戦チケット案内
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本日は4年生のラストシーズンに懸ける熱い想いをお伝えするインタビューの第14弾をお送りします。
今回は、選手からスタッフに転向した男子スタッフの相澤・木村・澤田の3人の登場です。
<相澤麟太郎(学生コーチ・國學院久我山)>
—ラグビーとの出会い
ラグビー選手だった父の影響で、テレビを点けたらラグビー、父が家に連れてくる友人もラグビー関係者、家族で出かける行事といえばラグビーの試合観戦…などなど小さい頃から日常の一部にラグビーがありました。
実際にラグビーを本格的に始めたのは小学校1年生の時に常総ジュニアに入ってからです。毎週末ラグビーグラウンドに行って友達と会って話したり、年上のお兄さんたちに構ってもらえるのが楽しかったのを覚えています。
—慶應を目指した理由
中学2年生の時に慶明戦を初めて見に行ったのですが、慶應のタックルが刺さりまくっていて感動したのがきっかけです。当時ラグビーと並行してサッカーもやっていたのですが、ラグビーの方がもしかしたら自分も高いレベルでプレーできるかもしれないという思いが強くなった時期だったのでラグビーを続けられる高校を探し、結果久我山に入りました。
久我山の僕らの代は23年ぶりに花園出場を逃した代なのですが、その時の悲しさ、後悔は今でも忘れられません。今思うと高校での3年間はどこか本気ではなく、自分に甘い生活を送っていました。大学ではラグビーだけに打ち込もうという思いで慶應を目指しました。
—学生コーチとして大事にしてきたこと
これは大学の蹴球部に入る時に自分で決めたことなのですが、“誰よりも一番頑張る”ことです。
僕の場合高校3年で負けたことが大学での全ての原動力になっていて、3年間の頑張りを0にされたような虚無感をもう味わいたくないので、大学では絶対に“勝った代”になれるよう全力を尽くそうと思っていました。
コーチになってからもその思いは変わらずがむしゃらに頑張ってきたという感じです。
—学生コーチをして嬉しかったこと
一年生の時から苦楽を共にしてきた京介(中村・FL/副将)が今活躍していることです。同じポジション、同じ体型、フィットネスとタックル重視の同じプレースタイルの彼とは一番下のチームにいた頃から個人練習をずっと一緒にしてきました。彼が対抗戦で活躍している姿を見るのは本当に嬉しいです。
何事も全力で一番頑張る姿勢を評価した同期によって僕はコーチに選出されたことをコーチになった際に知りました。この大事にしてきたことが裏目に出て自分のプレイヤーとしての人生を絶たれたと、最初はひどく落胆していました。
でも今は、その全力で頑張ることを貫いたことに後悔はありません。きつい状況の中で自分に打ち勝つまで頑張った経験がある人は、その頑張った自分がこの先ずっと自分を励まし、後押ししてくれると僕は信じています。なので、今辛い状況にいるプレイヤーの後輩にもその状況から逃げずに厳しい選択を日々していって、どんな時でも全力で戦えるプレイヤーになってもらいたいと思います。
—ラストシーズンに懸ける想い
優勝するために出来ることは全部やりたいと思っています。初志貫徹で、日々全力を尽くします。
<木村亮一(MGR・慶應義塾)>
—ラグビーとの出会い
祖父が早稲田のラグビー部、父が明治のラグビー部出身ということもあり、小さい頃からなかば強制的にラグビー観戦、そしてラグビースクールに連れられていました。そこから小学校、中学校も、自分にとってラグビーは家族の顔色を伺って「やらされるもの」でした。
—大学蹴球部に入ったきっかけ
やらされる存在でしかなかったラグビーが、自分の意思でやるものに変わったのは高校生になってからでした。下のチームも部長先生が沢山練習試合を組んで下さったり、当時の先輩に目をかけていただいて自分の技術が向上してできることが増えたりしたことによって、ラグビーが楽しいと強く思えるようになっていきました。ただ、僕は幼稚舎の時も普通部の時も一軍で出た経験がほとんどなく、高校でも公式の試合に出られることはそう多くありませんでした。そんな状況だったので、高校でラグビー部に入部する時、「もし高3になってもスタメンになれなかったら、大学ではラグビーを辞めよう」と決めて入部していました。最後の大会が始まった頃はベンチに甘んじていたのですが最後の最後、神奈川県大会の決勝の桐蔭戦でスタメンに入ることが出来たので、自信を得て、大学でも続けることにしました。
—男子マネージャーに転向してから心がけてきたこと
二つあって、一つは選手の目線を無くさないでい続けることです。
僕は大学一年の秋から男子マネージャーに転向したのですが、やはりスタッフは運営側に回って余裕がなくなるとどうしても選手の気持ちやモチベーションを無視してしまいがちだとある時気付きました。それからは選手が関わること、例えば何かを指示したりする時には「自分が選手を続けていたらどう思うか」というのを考えて、常に判断基準をそこにおくよう心がけています。
もう一つは、楽しくやる、ということです。はじめから自分で望んでなった環境ではないとしても、その状況をいかに笑顔で明るく過ごすか考えたほうが結局自分も楽しいですし、周りもピリピリするよりそのほうが仕事がしやすいと思うので。
—マネージャーをして嬉しかったこと
去年の春はマネージャーとしての仕事もうまく行かず、結構精神的にも辛かった時期だったのですが、ある時に主将の達哉さん(鈴木・H29卒)が「最近頑張ってるらしいじゃん」と声をかけてくださった時が本当に嬉しかったことを覚えています。
—伝えたいこと
マネージャーになったばかりの昔の自分、そしてこれから男子マネージャーになる後輩たちに向けてですが、なったばかりの時はかなり絶望したと思うし、周りの人間や組織自体を憎く思ったりしてしまうかもしれません。ですが、ピンチになった時、追い詰められた時、仲間は必ず手を差し伸べて、助けてくれました。僕は日本一のプレイヤーにはなれませんでしたが、日本一のマネージャーにならなれる、かもしれません。思い通りのラグビー人生ではないとしても、ここまでの道はそれはそれで素晴らしいものだったから、もっと周りを見て、はじめから笑顔でやっていってほしいと伝えたいです。
—ラストシーズンにかける想い
僕以外の転向したスタッフの想いも勝つことで報われると思いますし、勝ちたい想いは部員全員同じです。最後みんなで笑って終わるため、自分ができることを全力でやります。
<澤田浩希(学生コーチ・慶應義塾)>
—ラグビーとの出会い
幼稚舎のラグビー部に小学校5年生のときに入ったのがラグビーとの出会いです。
テニス部に入ろうと思っていたのですが、クラスから3人しか入れなくて…10人希望者がいてジャンケンで負けました。
その時に体育の先生が勧めてくれて入りました。ちょうどその時、身体の成長と運動神経が爆発的に伸びていたようで、すぱーっとごぼう抜きでトライを何本も取れるような感じでとっても楽しかったんです。
—大学蹴球部に入ったきっかけ
当然のように普通部でもラグビーを続けて、中学では1年生の頃からスタメンで出させてもらっていてずっとラグビーが楽しい時期が続きました。でも高2くらいからだんだんと上のチームに絡めなくなってきて、そんな中で3年になった時に怪我をしてしまって。シーズン中に復帰は出来たのですが、結局神奈川の決勝では試合に出ることなくボールボーイで終わりました。
花園に出たかったという思いや中学の時は活躍できていたのにという思いなど悔しい感情を中途半端なままここで終わらせてはいけないと、大学でも蹴球部で続けることを決意しました。
—プレイヤー時代を振り返って
想像はしていましたが、色々なことに悩まされました。1年生の時は一番下のチームで、体重やウエイトの数値、フィットネスのタイムなど目標値が切れないとすぐに退部だ!と言われる環境でやってきました。どうしても上に上がりたくて当時の学生コーチだった岡さん(準一郎・H28卒)に相談をしたら、とにかく同じポジションのやつよりも残って練習しろというアドバイスをいただいて。それからは毎日グラウンドに最後まで残ってスプリンクラーにパスを当て続けました。周りの人が上がっていくのを見てしめしめ、と思うくらいになったとき練習量と取り組む姿勢を認めてもらえて上のチームにあげてもらえました。
—学生コーチとして大事にしてきたこと
自分の判断基準をぶらさないことです。
僕が見ている下位チームの選手は一人一人にこれをやれば上のチームに上がれるという明確な何かがあると思っています。それを気づかせるのが自分の役割だと思いますし、そこを理解して取り組んでいる選手を基準をぶらさずにきちんと評価しなければと思います。評価するという言葉はすごい上から目線なのであまり使いたくないのですが…。
あとは一人一人とまめに話して、その選手が今何に悩んでるのかどういうことをしようとしているのかを把握して一人一人にあった個人練習のアドバイスなどをするよう心がけています。
—学生コーチをして嬉しかったこと
鋤柄(仁志・4年)が対抗戦のメンバー入りをしたことでしょうか。彼とは1年のときからずっと同じチームで練習をしてきましたし、僕が学生コーチになってからも今年に入ってから特にJrをまとめるような存在でいてくれたので、ずっと練習のことについても話し合う仲でした。網走合宿にも行けなかった彼がチャンスをつかんでブースターになれた時は本当にうれしかったです。
慶應には“あからさまに表立ってがむしゃらに頑張ること”を少し恥ずかしがるような風潮があるように思います。
でもその風潮を打ち破ってなりふり構わず努力したほうが絶対に良いです。
僕も高三の時に怪我をするまではその風潮に流されていました。でも神奈川の決勝になんとか間に合わせたいと周りも驚くほどリハビリに時間を費やしました。それでも結局メンバーにはなれませんでしたが、懸命にリハビリをやらなかった方がもっと後悔していたと思います。
誰が見ていようが見ていなかろうが悔いのないよう努力をし、自分との戦いにまずは負けないでほしいと後輩には伝えたいです。
—ラストシーズンに懸ける想い
勝ちたい、それしかありません。
勝つために自分ができることを全てやりきって勝ちます!
次回からいよいよ幹部の熱い想いを紹介してまいります。お楽しみに!
慶應義塾體育會蹴球部