2017年11月2日木曜日

チームダイアリー〜ラストシーズンに懸ける想い Part8〜

合宿所だよりをご覧の皆様、こんにちは!

いよいよ今週末は帝京大学との一戦を控えております。全勝同士の対決ということで、ぜひ応援のほど宜しくお願いいたします。

さて、今回の4年生のラストシーズンに懸ける熱い想いをお伝えするインタビューの第8弾をお送りいたします。
今回の登場するのはSH小田嶋とLO重政です。
桐蔭学園と國學院久我山という花園出場常連校出身の二人にこれまでのラグビー人生を振り返ってもらいました。

<小田嶋啓太・SH(桐蔭学園)>

−ラグビーを始めたきっかけ
  社会人になってからラグビーを始めてその魅力にどっぷりと魅了された父親の影響で3歳から横浜ラグビースクールに入りました。正直小さい頃は嫌々通っていました。 地元の友達と遊びたいのに日曜日の朝早くから連れ出されて、たとえ雨が降っていても中止にならなかったので…(笑)
  小学校3年生の時にスクールで表彰されてからは、だんだん楽しさが分かってくるようになってきて…中学受験でもラグビー部が強いところを受験して最終的に桐蔭に進むことになりました。

−桐蔭学園中学でのラグビーはどうでしたか。
 今振り返ると楽しくていい思い出が多いです。中学でもSHだったのですが、ずっと横田(将大・3年)とはライバルでした。 神奈川県の中学校選抜では普通部の青井(郁也・4年)や澤田(浩希・4年)、徹(金澤・4年)、雄登(高野・4年)・細田(隼都・4年)などが一緒だったので、実はこの頃からの仲です。

−中学と高校の違いはやはり大きかったのでしょうか。
  高校には外部からすごい人たちがいっぱい入ってくるんです。中学時代から有名だった人とか、体がそもそも大きい人とか…。最初は僕らは「内進組(=内部進学組)」と呼ばれてひとくくりにされていました。
  でもそのくくりはすぐになくなって、仲は良くなりましたね。僕自身も3年になって最終的に表のSHとして出場させてもらえたので充実していました。

−慶應の蹴球部を目指した理由
  小学生の時に同じスクールの友達と早慶戦を見に行きました。その時に一緒に行った友達が「早稲田に行く」と言ったので、負けじと「じゃあ自分は慶應!」と言ったのがきっかけです。(笑)
  最終的に二人とも有言実行して、その友達は早稲田のラグビー部にいます。

−SHというポジションについて
  SHにもいろいろなタイプがいます。高校に入学する前に、外部から神奈川では有名なSHの同期が入ってくることを知った時に、試合に出られなくなる危機感を感じていました。その時に中学選抜のコーチからもらったのが、「そのチームの戦術に合ったSHが最終的には選ばれる、だから求められるSHのタイプは何かを考えて、近づけばいい。」というアドバイスでした。
  桐蔭はFWが強くて継続力のあるラグビースタイルだったので、早いテンポでボールを捌くSHが求められたので、自分の強みを生かしつつチームに合うSHに近づこうとしていました。

-4年間過ごしてきて思うこと
  試合に出ないと後悔は残るということを強く実感しています。僕はジャパ候(高校ジャパン候補)として大学蹴球部に入部したこともあり、周りからの期待に応えられない自分の不甲斐なさに長い間葛藤していました。高校では好機が重なり9番として試合に出場させてもらっていましたこともありプレッシャーはあまり感じずにプレーができていたので、大学に入ってからは本当に悩みました。慶應にふさわしいSHに早く近づかなければ、という気持ちでずっと過ごしてきた4年間でした。

-伝えたいこと
  ラグビーのことになると視野が狭くなりがちで両親には今まで迷惑をたくさんかけてきたのですが、常に支えてくれて感謝しています。
  また温かく接してくれる後輩たちに支えられた3年間だったので、みんなには本当に感謝しています。

-ラストシーズンに懸ける想い
 最後まで諦めず、Aの試合に出れるチャンスを追い求め続けます。桐蔭から一緒の大樹(佐藤・4年)と試合に出られたら嬉しいです。


<重政尚之・LO(國學院久我山)>

−ラグビーを始めたきっかけ
 兄が高校でラグビーをしていたこともあり、中学で久我山に入学した時にラグビー部に入部しました。ラグビーファンであった父に小さい頃にラグビー早慶戦に連れて行ってもらっていて、慶應に行きたいという気持ちは小学生の頃からぼんやりと持っていました。

−中学生からラグビー部に入ってどうでしたか。
 最初は純粋に楽しんでいましたが、だんだん奥深さというか難しさに気づいていきました。コンタクトとパスとキックの大きな3要素が出来ることに加えて、状況判断を常に的確にしなければならないところが慣れるまで大変でした。ちなみに中学時代は体も大きかったこともあり、PRで試合に出ていました。

−高校のラグビー部は東京都代表常連校でしたがどうでしたか。
 僕らの代は3年で花園出場が出来なかった代です。それまで続いていた花園連続出場の記録を途絶えさせてしまったことは今でも悔しいです。自分自身は3年の夏に目の怪我でリハビリ中で、都大会が終わった後に復帰の予定だったので結局不完全燃焼な形で引退となってしまいました。

−慶應の蹴球部を目指した理由
 幼い頃から慶應を意識していたこともあり、第一志望は慶應一本でした。AO受験の際には、ラグビー部の先輩方が練習後の疲れている中面接の練習などに付き合ってくださり、いい方ばかりだなあと入部前から思っていました。

−実際に蹴球部に入ってみてどうでしたか。
 最初は先輩を怖がっていましたが、だんだん慣れてくると先輩も仲良くしてくれ、沢山いじっていただきました。先輩後輩が仲良くコミュニケーションを取れていて良い雰囲気の部活だなと思いました。
 ラグビー面ではコンタクトの強さが高校時代と比べてはるかに強く、激しくなったので練習もキツく感じました。でも周りの同期も頑張っているし、チームの目標に向かって集中しなければという思いで頑張りました。

-TC(チームコネクト)リーダーとしての仕事
 自分も先輩にしてもらったように後輩とも心地の良い上下関係を築いていきたいと思いながら、企画を考えていました。あまり接点がない先輩後輩をあえてくっつけて同じグループにしたり…コミュニケーションを全員と満遍なく取れるような風通しのよい雰囲気を理想としていました。
 結果的にチームが掲げている「一体感」を生み出すのにTCもひと役買えたのではないかと思います!

−4年間で転機となった出来事
大学一年生の時は一番下のグレードだったのですが、その時に自分が設定した体重やストレングスの数値を超えなければ退部、と言われた時期がありました。その時にきつい目標を自分で設定をして、達成できたことで上のチームにあげてもらえたのですが、それから練習試合にも出させてもらえるようになったのでこれが転機だと思います。

−4年間過ごしてきて思うこと
 練習もハードで拘束時間も長く、通常の学校生活との両立を考えると非常にきつい環境ではあるのですが、みんなひたむきに努力をし続けているこの環境がとても好きです。

−伝えたいこと
 大学の體育會でラグビーを続けるにあたり、いろいろな面で負担をかけてしまったと思いますが、いつも応援してくれて感謝しています。

−ラストシーズンに懸ける想い
 残された時間は少ないですが、AチームのLOとして出場できるように努力を続けます。実際に自分が取り組む背中を見て、後輩に何かを残せるプレーヤーになれたら嬉しいです。


次回の更新もどうぞお楽しみに!

慶應義塾體育會蹴球部