合宿所だよりをご覧の皆様、こんにちは。
チームは今週末11月12日のジュニア選手権準決勝、そして11月23日の慶早戦に向け、日々努力を積んでいます。
引き続き応援のほど、宜しくお願いいたします。
なお、慶早戦のチケットは現在も販売中です。お買い求めの場合はこちらの記事をご参照ください。
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さて、本日は4年生のラストシーズンに懸ける熱い想いをお伝えするインタビューの第10弾をお送りします。
今回は黒黄のジャージを着て活躍する松村、町田、永末の3名のFWに熱い想いを語ってもらいました。
―ラグビーを始めたきっかけは何ですか?
<永末千加良(LO/FL・慶應義塾)>
中学校に入って部活を決める時に、9年間やってきたサッカーは実はそこまで好きではないな、と思ってしまったんです(笑)。僕のサッカー部時代の強みは当たり負けしない体だったので、だったらラグビーをやろうと思って、学校のラグビー部に入りました。
―大学でも続けようと思った理由は何ですか?
塾高では県大会の決勝で桐蔭に負けて引退をして、元々はそのままやめるつもりでした。4ヶ月くらい何もない生活を送っていたのですが、いざラグビーが生活からなくなったらやっぱりなんとなく寂しくて。そんな時、千歳中学校のかつての仲間たちと久々にラグビーをしたらやっぱり楽しいし、もうちょっとだけやってみようかな、と思って入部を決めました。
―そんな千歳中学校の思い出を教えてください。
僕たちの代は東日本大会で準優勝だったのですが、都大会から準決勝までの4試合、全てギリギリの逆転勝ちでした。時間さえあれば勝てる、と思えた経験は常に僕の根幹にあります。
また、千歳中は楽しさだけを抽出した練習がほとんどでした。もちろん基礎スキルは教え込まれますが、それ以外はタッチフットなどで楽しみながら技術を磨いていく練習がほとんどで、「ラグビーって楽しいものなんだな」というのが自分の原点です。高校時代は逆にハードな練習が多くて戸惑いましたが(笑)。そういった経験が、今でもラグビーを続けられている要因になっていると思います。
―転機となった出来事はありますか?
1年の時、対外試合で足を骨折して、半年を棒に振ったことです。入院中すごく時間があったので、なぜ怪我をしてしまったのか突き詰めてずっと考えていたのですが、僕の結論としては、当時の対戦相手のタックルスキルが上手でなかった故に危険だった、そういう怪我で半年も無駄にするのはすごくもったいないので、もっと強くて上手い相手と戦いたい、もっと上に上がることでしか、この怪我は防げない。というものでした。自分の上昇志向をより強くする出来事だったと思います。
試合に出ているのは色々な学年の選手がいますが、結局その年のチームの色や雰囲気は、4年生によって決まるのだということです。自分は下級生担当をやっていますが、自分がちゃんとしていないと厳しいことは言えないですし、自分の行動がそのまま代の評価に繋がるということを、強く思い知らされました。
―伝えたいこと
月並みですが、ラグビーをさせてもらえる環境を維持できるのは様々な人の支えがあってのことだと4年生になって特に思います。ここまでラグビーをやらせてくれた両親、陰から選手を支えてくださるスタッフの皆はじめ、関わってくださる人すべてに感謝して、結果で恩返ししたいです。
―ラストシーズンにかける想い
結果で証明します。
―ラグビーを始めたきっかけは何ですか?
中2のときに友達に誘われて始めました。それまでは美術部だったのですが、運動をしたくて色々な部活を見ていました。サッカー、野球、バスケのような経験者が多いスポーツはすでにグループのようなものが出来上がっていてどうも苦手で、未経験者でもできそうだったラグビーを始めました。
―埼玉栄での思い出を教えてください。
一貫校なので、中学のときは、高校生と一緒に練習に参加していました。高校になってからは監督に、どんな練習をするかという内容のほとんどすべてを任せてもらっていました。主将にも任命されていたので、ラグビークリニックなどの雑誌や本を見て自分たちで練習を考えていました。
―蹴球部に入部しようと思った理由はなんですか?
自分たちで練習を考えて戦うのも楽しかったですが、結局結果は二回戦敗退というもので物足りなさを感じました。もっとちゃんとした環境でラグビーをやってみたかった。それで、慶應を受けて、ラグビーをしようと決めました。
―転機となったできごとを教えて下さい。
まず1つは3年の春に、ジュニアチームから一番下のコルツチームに落とされたことです。一つ上の学生コーチの穂積さんにすごく目をかけてもらっていたのに応えることができなくて、落ちた後、それを穂積さんに言われました。努力をしたつもりでいても、全然足りなかったと愕然としました。
もう1つは今年の春、明治大学とのBの練習試合に出させていただいたことです。シーズン序盤は下のグレードにいたのですが抜擢していただいた機会で思うようなプレーができ、その後シニアチームに上がることができました。
―4年になってみて気づいたことや、気をつけていることはありますか?
上のチームにいる選手はどうしても下のチームの選手の気持ちがわかりづらいし、逆に下のチームの思いは上のチームには伝わりづらい。自分はどちらも経験しているのでその橋渡しになれたら、いい見本になれたらと思っています。 特に4年はすごく後輩たちから見られているし、引っ張る義務があると思います。
―伝えたいこと
チームの後輩たちには、自分は下級生の頃、とある先輩に「お前は一生黒黄を着られないだろう」と言われたことがありましたが、そんな僕でも今こうやってメンバーとしてグラウンドに立っている。どこで何があるかわからないから、常にチャンスをものにできるように、最後まで諦めずに準備をして頑張ってほしい。と伝えたいです。
それから、もう埼玉栄では部員が減りすぎてラグビー部がなくなってしまったらしいのですが、栄のすべての後輩たちに「ラグビーはいいぞ」と(笑)。
最後に、ここまでラグビーをやらせてくれた両親には感謝を伝えたいです。
―ラストシーズンにかける思い
大学選手権の決勝に出て、勝って日本一に貢献して、母校に錦を飾りたいです。それによってラグビー部が再興したらもっと幸せです。
応援宜しくお願いします!
<松村凜太郎(No.8・慶應義塾)>
父親が、昭和61年の日本選手権を制した代の蹴球部の大ファンで、子供にラグビーをやらせたがっていたそうです。兄が先に始めて、自分も4歳の頃にラグビーを始めました。
―大学でもラグビーを続けようと思った理由は何ですか?
父に連れられて小さい頃から早慶戦は見ていて、その影響か、自分も徐々に「慶應のラグビー部で、あのジャージを着てやろう」と思っていたので特に迷いはありませんでした。
―転機となったできごとを教えてください。
2年の春ごろからスタメンで出させてもらっていたのですが、その年の秋、プレーの調子が悪くなり、Cチームにまで落ちました。かなり悔しかったですし、納得も行かなかったので当時の学生コーチの方ともかなり衝突していました。ですが、その時期の自分を見つめ直すと、運や勢いだけで、基礎的なスキルが足りていないことに気づかされました。
張りぼてのAじゃなく、基礎がしっかりできている頼れるプレイヤーに。コンスタントに戦い続けなければならないと意識が変わり、現在に至ります。
―4年生になってみて気づいたことはありますか?
去年の自分はいい意味でも空気を読まなかったのですが、4年でそれだとうまくはいかなくなる部分もどうしてもあって。僕の一つの強みでもあるアグレッシブさは捨てないまま、個人としての成長だけでなく、チームとしての成長も考えるようにしています。
―伝えたいこと
チームの皆になのですが、僕は、自分たちの100%を出せば必ず日本一になれるチームになっていると思います。
でも、今までの歴史からか勝ちのイメージがない。早稲田は僕らに対して、「苦戦するかもしれないが当たり前に勝つだろう」と思っていると思います。それは明治や帝京もそう思っていたはずで。そういった「勝つ文化」を僕たちも作れたらと思います。「全員が心から勝利を信じよう」と伝えたいですね。
―ラストシーズンにかける思い
物心ついたときからラグビーをしてきて、今がラグビー人生最後の年、誰が見てもこいつは人生を懸けている、そう思ってもらえるようなプレーをフィールドで見せ続けたいと思います。
ぜひグラウンドに僕の人生を見にきてください。
次回の更新もご期待ください。
慶應義塾體育會蹴球部